何故に人は高価なギターを求めるのか?
連休最終日を如何お過ごしだろうか?
私は休日でも起床と就寝時間を変えないことを心がけているのだ
「明日は休みだから思い切り寝るぞ」
という感じで昼過ぎまで寝ていたこともある
そんな日は一日を無駄に過ごすことが多かった
”早起きは三文の得・・”
に間違いはない気がする
年齢を重ねることでさらにそんな気持ちが強くなった
今朝も5時前に起きたのだ
本日は家族も出払って私はひとりで留守番をしているのだ
こんな時間があっても良いと思う
贅沢な時間とは何だろうか?
高級なレストランで食事を楽しむ時間?
天気が良い日にドライブに出かける時間?
私は自宅でひとりで過ごす時間だと思っているのだ
パソコンと戯れるもよし、ギターを爪弾くもよし
とても寛げる優雅な時間だと感じられる
前置きが長くなったが・・
昨日、気になるギターがあったので調べていたのだ
そこであるレビュー記事に出会った
「安いエレキだけと作りとか鳴りとか最高なんだよね」
「なんか高いギター買うのが馬鹿らしく思えてきたな」
という内容だった
個人的には微妙な印象を受けた
半分正解で半分は間違いだと思える
間違いというよりは勘違いだと思える
廉価なギターでも本当に脱帽してしまうくらい良いギターがあるのも事実
一昔前の廉価ギターとは異なる
そのひとつの要因は製作技術の向上だと思う
特にネック周辺の工作精度はかなり良いと感じる


これは廉価の黒テレの指板の画像なのだ
すでにフレットは交換済みなのだ
廉価ギターのフレット交換には賛否両論があるが個人の自由だと思う
道具として使っているならば交換も十分に意味があると思う
廉価ギターの最も弱い部分は金属系のパーツ
それ故にフレットを良いものに交換するだけでも弾き心地や印象が異なる
廉価のギターに最初からこの品質を求めるのは酷だといえる
ある程度の割り切りが大事になってくると思う
2万円のギターと30万円のギターで同じパーツを使うことはあり得ない
逆に2万円でギターを組み上げる技術に脱帽なのだ

ギターも年々値上がりしているがこのギターは購入時には2万円を割っていたと記憶している
ピックガードの交換に始まり色々なパーツを交換した
結果として交換パーツの方が高額になった
後悔よりも満足度が高いというのが正直な印象
面白半分で取り組んだレリック加工もさらに実用として使い込むことで年季が加わった






実用ギターということで現代的なパーツも積極的に組み込んだ
ダイヤル式のロックペグは超お勧めなのだ

ヘッドの重さが云々と言う人がいるが・・
そんな人に限って意外と音がショボいことが多い
知識の泉に溺れているギター好きが巷に溢れている
実際の話、プレイヤーは半分もいないような気がする
その中でも上手い人は一握りだといえる
誰でも簡単に始められるギターだが意外に敷居は高いのだ
極めれば天井知らずなのだ
廉価なギターを褒めちぎったが・・
それならば30万円を超えるようなギターは不要なのか?


若干、販売価格に変動がみられるが二本で70万円になる
非常に満足できるギターたちなのだ
あくまでも個人的な感想だが出音に関しては廉価のギターと大差ない気がする
これは聴覚的な話なのだ
高価なギターと廉価なギターを録音してブラインドで音を聴き分けるというイメージ
高級な音というものは存在しない
音は好みなのだ
ゴリゴリに歪んだ音を好む人もいる
木の温もりが感じられるクリーン音を好む人もいる
リアピックアップの尖った音、フロントピックアップの甘い音
ロックとジャズでも好まれる音は違う

見た目はそっくりなのだ
ギターを知らない人や弾けない人がみれば違いは分からないと思う
そもそも、この二本の価格差に納得が出来ないと思う
ギター好きは何故に高価なギターを求めるのか?
その違いは弾き心地にある
二本を抱えてみれば違いが分かる
弾き心地に関してはギターが弾けるということが大前提になる
ブランドや販売価格でギターの価値を決める人が多いのも事実
プチコレクター系の人に多い
値段が高いギターを手に入れたという自分に酔いしれる
これは車やバイクなどにも言えると思う
特に男にはそういう傾向が見られる
特に中年になるとその傾向に拍車がかかる
何故だろうか?
ギターを始めた頃にはギターを弾くことが楽しかったはず
やがて、ギター演奏に挫折し集めることに執着するようになる
何故だろうか?
理由は簡単なのだ
ギターを上手く弾くことはとても難しい
しかしながら、ギターを買うことや集めることは容易い
資金があれば誰でも出来るのだ
競うべくは手持ち楽器の値段という悲しい結末を迎える
それが悲しく虚しいことだということを自分が一番理解しているのだ
誰しも初めはギターを弾く為に始めたのだと思う
読者のみなさんは簡単なコードを押さえキレイに音が鳴った時の感動を覚えているだろうか?
FやBのようなバレーコードで半分が挫折する
ギター道は茨の道なのだ
自分が得意とする押さえ易いコードで何十年もギターと戯れる人もいる
努力よりも楽しみを先行させる性格なのだと思う
それも一つの選択であり、ギターを楽しむ方法として間違いではない
不思議なことにそんな人も中年になると横並びに高価なギターを欲しがる
日本人は世界的にも道具オタで有名なのだ
日本限定のモデルが多いのもそんなところに理由があるのだと思う
日本限定300本
本数が少なく高額なほど売れるという
物価高に不景気と言われるがお金はあるところにはあるということ
庶民が汗して働いている時間帯に犬を連れて都心のカフェのテラスでお茶している人も多い
『この人って何してご飯食べてるんだろ?』
と思うことがある
まぁ、どうでもよい話だが・・・
私は全人口の真ん中で生きているような気がしている
お金持ちでもなく貧乏でもない
欲しいギターは頑張れば買えるという感じなのだ
廉価なギターで打ち止めという人は悲しい
ギター人生として本当に悲しい
一方で湯水のように高価なギターを買い漁るが一向に上手くならない人
そんな人はもっと悲しいと思える
何度も言っているが・・
ギターは弾いてこそ価値がある
もっと言うならば上手く弾いてこそ活きてくるもの
上手く弾けないならば弦高も弦の種類もそもそもの道具であるギターも何でも良い
エレキならばエフェクターも何でも良いのだ
歪みペダルの弾き分けや使い分けができないならば廉価のマルチで十分なのだ
もっというならばアンプも何でも良いのだ
勢いで自宅用に真空管アンプを買った知り合いがいる
結局、自宅では鳴らせない
真空管が暖まるような使い方ができない
「暇がある時にスタジオに持ち込むんだよね」
そんな時間は何処にあるのだろか?
そもそもギターを抱える時間がないと言っている人がスタジオに行くのだろうか?
鳴らせない真空管アンプを眺めながら酒を飲む
一方で安い小型値トランジスタアンプで毎日練習する人
一年後には大きな差になっていると思う
ギターという楽器は本当に正直なのだ
その人の抱え方や鳴らした一音ですべてが分かってしまう
逆に挨拶代わりに弾いた自分の演奏でも他人にアピールができるということ
ギター道に言い訳は無用
「時間がないから弾いてないんだよね」
私はこんな言葉に微妙に反応してしまう
「弾いていない」とはギターを弾ける人が言う言葉
厳密に修正するならば『弾く』は『練習』に置き換えられる
最近は楽器屋さんの演奏技術も低くなった気がする
ギターが上手くない人がギターを販売しているのだ
ギターに関する説明は不要だと思う
ネットが発達した現代ではむしろお客さんの方が詳しいことが多い
徹底的に調べ尽くしてからリアルショップに来店する
ネットなどでも知識の泉に溺れている人を多々見かける
理屈だけではギターは鳴らせない
脱線したが・・

個人的な意見になるが・・
上手くなったなら良いギターを手に入れるべきだと思う
何をもって高価なギターとするか?は人それぞれだが・・
レギュラーラインくらいの価格帯のギターでも十分に贅沢だと思う
ギターを知らない人から見れば30万円のギターを買う私はアホに見えると思う
まぁ、それもよいと思う
言い方を変えるならば、上手くなっていないならば高価なギターは不要
プレイヤー目線での話なのだ
購入は自由だが・・
上手くない人にとっては良いギターの良さが理解できないということ
まさに
宝の持ち腐れ
なのだ
廉価のギターが壊れるくらいに練習をすべきだと思う
「このギターって物足りないなぁ・・」
「俺って上手くなってきたかも?」
がステップアップの最良のタイミングだと思う
他人の言葉に背中を押されるのも悪くない
「そんなに弾けるならもっと良いギター買えば?」
ギターが上手い人は少ないが耳が肥えている人は山ほどいる
自分のギターを評価してくれる人は想像以上に多い
ネットを活用して演奏を公開してみるのも一考だと思う
まぁ、下手な人が演奏を録音してネットに公開する姿は想像し難いが・・
まぁ、先の知識の泉に覚えれる人と同義語という意味でギターの周辺機材に詳しい人も多いと思う
ギターを弾くよりも機材集めが優先される人も少なくない
「理想のエフェクターが揃ったぜ」
何となくギター購入に似ているような
集めることが目的で弾くことには興味がない
まぁ、こういう人こそネットを使った武者修行も良いと思う
リアルな知り合いにはそれなりの忖度がある
つまりは気遣いも多少はある
一方でネットの民のジャッジは厳しい
本当に厳しい
良い悪いが明確なのだ
カッコイイ音源にはすぐにイイネが付く
私も数年前にSoundcloudという海外のサイトで経験済みなのだ
海外のリスナーから貰ったイイネがかなりの自信になった
人間は自分自身を正当に評価することが難しい
自分を過大評価する人
自分を過小評価する人
不思議なことに中間が少ない
読者のみなさんはどちらだろうか?
ちなみにギター弾きにとってはどちらも好ましくない
繰り返しになるが上達への近道には正当な評価と判断が不可欠なのだ
自分に足りない部分を補っていくという方法がギター上達の正攻法
ローポジが自在に弾けるならば、すべてをハイポジに置き換えて弾いてみる
ピックで弾けるならそれを指で弾いてみる
和音で上手くカッティングできるなら短音でフレーズを構築してみる
伴奏がそこそこ弾けるならばソロギターに挑戦してみる
数え上げればキリがない
練習方法を他人に依存するのは止めた方が良い
自分に最良の方法を見いだせるのは自分だけ
そもそも、練習方法で迷っているような人は上手くならない
試行錯誤が足りないのだ
ギターは知性と本能で弾くものなのだ
本能的に指が動くようになったならば緻密に構築されたプロの音遣いを学んでみるのも良い
昨日もお話したが・・
ピアノで作った曲をギターでアレンジした曲を練習したことは私には新鮮だった
とても良い勉強になったと思う
ブライアンメイ氏の緻密なフレーズとコードワークが沁みている
弾き込むことで真似たリックが自分自身の手癖になるのだ
こんな言い方はいやらしいが・・・
巷のギター好きが練習を怠ることをある意味で歓迎しているのだ
周囲の知り合いの怠慢を嬉しく思っているのだ
理由は簡単なのだ
”少し練習するだけで一番になれるから・・”
あくまでも素人というレベルの話だが童話カメとウサギのカメのようにコツコツ練習している
特にライバルや意識している相手などいないのだ
言うなればライバルは自分自身なのだ
自分の脳と欲望を満足させる為だけにギターを弾いているのだ
とにかく死ぬまでに指が動く間に気になる曲をコピーしたい
オリジナル曲は過去に山ほど作ったのだ
古くから当ブログをご覧の方はご存じだと思う
簡易な曲も含めると300曲はくだらない
もうお腹いっぱいなのだ
簡易な曲ならば今でもいくらでも作れる自信がある
まぁ、そういう依頼もないが・・
十年くらい前までは他人に楽曲を提供していたこともあった
懐かしい思い出なのだ
その当時よりも今の方が断然ギターが上手くなっている
上手くなっているというよりは引き出しが増えているのだ
ハード系のロックからクラシック曲まで垣根がない
自分がカッコイイと思った曲には迷いなく挑戦する
今でも異質に感じるのはランディローズの『DEE』なのだ
ロック&ブルース系の私にはクラシック系の運指が難解だった
それでも諦めなかった
結果として、私の十八番になった
プロでも完コピで弾ける人は少ないと思う
言い過ぎかもしれないが練習不足、向上心不足の自称プロよりは私の方が上手いと思う
ギター道を突き進むうえで自信は大事だと思う
根拠ない自信ではダメなのだ
それ故に自分を納得させる自信を身につけるべきだと思う
余談だが・・
アコギでクイーンの新たな課題曲に取り組んでいるのだ

久しぶりにアコギ用のマルチをヘッドフォンで堪能する予定なのだ


ギターは楽し
ブログも楽し・・